The tradition & historical record
1 min read · 2 sources徳山おどり(とくやまおどり)は、岐阜県揖斐郡旧徳山村で伝承されている盆踊りである。近江、越前、美濃など周辺地域からの影響を感じさせる数々の盆踊り唄が伝わっている。 徳山村は徳山ダムの建設計画によって、1987年(昭和62年)に廃止され、2008年(平成20年)5月のダム完成で、門入(かどにゅう)など一部地域を残して全村水没となった。しかし、徳山おどり自体は、本巣市の網代・糸貫・文殊団地、揖斐川町の表山団地、北方町の芝原団地など集団移転先でも元住人たちによって踊り続けられた。当初は集団移転先の5団地ごとに保存会が結成されたが、会員の減少に伴い2007年(平成19年)12月に5団体を統合。以降、現在に至るまで徳山おどり保存会による定期練習会が催され、年に一度元住人たちが集まる「徳山ふるさと会」などで実際に唄い踊られ続けている。 離村後は集団移転先の団地での夏祭りなどで徳山おどりが踊られていたが、近年は元住人の高齢化や、騒音問題などによって、盆踊り大会が開催されずにいた。しかし、2018年に東京での徳山おどり愛好者による会が立ち上がったり、2019年に十数年振りに徳山団地で徳山おどりの盆踊り大会が2日間にわたり開催されたりするなど、復活の機運が高まっている。 1
概要
徳山おどりは、三味線や太鼓、笛といった鳴り物が入らない、昔ながらの素朴な形を残した盆踊りである。基本的には音頭取り(歌い手)の唄と、踊り子たちによる合いの手との掛け合いによって踊りが進行していく。また、同じ「徳山村」といっても、八ヶ村(徳山/本郷・上開田/池田・下開田/漆原・山手・櫨原・塚・戸入・門入)の集落ごとに、唄や踊り方に微妙な地域差があり、現在でも元住人たちが集まると、踊り方への見解に相違が生まれることがある。 1
徳山村で盆踊りが行われたのは主にお盆の8月14日、15日、16日のことで、盆の三日間は若者から年寄りまで皆で櫓を囲んで踊り明かしたという。場所は各集落では道場やお宮の広場が選ばれていたが、村の中心だった本郷地区では大通りに櫓を立てて道路に踊りの輪を作った。このほか、年に二回のお回りや(春・夏)、おとりこし(11月〜)といった宗教行事の折にも踊りが行われたという。娯楽の少ない徳山村では、人が集まれば何かにつけて唄や踊りが行われたそうだ。 1
曲目
かつては数多くの作業唄・祝い唄・盆踊り唄などが唄われていたが次第に姿を消して行き、現在は以下に挙げる11曲が「徳山おどり保存会」によって唄い踊り継がれている。 なお、徳山村史に「この地特有の民謡としてこの地に発祥したという根拠を持つ民謡というものは全くないといってもよい」とあるように、その唄の殆どが全国各地から流入・伝播されたものと推測されるが、その詳しい来歴はほぼ不明である。 1
さよれ
盆踊りの踊り始めに唄われた曲。「さよれ」とは「参じ寄れ」「さあ寄れ、さあ寄れ」の意であるといい、この唄が聞こえてくると「盆踊りが始まったな」と村人たちは三々五々、踊り場に集まって来たという。踊り始めにしか踊られなかったことで、実際に踊ったことのある人も他の踊りに比べて少なかった様子。 「さよれ」はまた別名「さより/さんより」ともいい、秋刀魚など細長い魚の塩漬けのことでもあるらしい。かつて北陸から海の幸を運んだ「さば街道」と同様の「さより街道」が存在し、それに因んだ唄が行商人と共に流入したのかも知れない。実際、徳山は山深い土地でありながら、唄の文句の中には「さより街道を 鰯が通る 鯖も出て見よ 鰺ょ連れて」と、海の魚について唄われているものも多い。 詩型は7・7・7・5調の小唄型式であるが、「さより街道を 鰯が通る 出て見よ鯖も 鯖も出て見よ 鰺ょ連れて」と3句目の7文字(3・4)を一度前後逆から唄い、再度元通りにして唄う(4・3→3・4→5)という独特な唄い方をする。 1
〽(サーヨレ サーヨレー) さよれさよれと 踊る娘が可愛い 過ぎたら 今宵 今宵過ぎたら 悔しかろ(サーヨレ サーヨレー) 1
ほっそれ
「徳山おどり」の代表曲で、村内の小学校の運動会でも踊られたため、今でも多くの徳山人が踊れるという。 元々は「輪島出てから 今年で四年じゃ 能登の輪島へ 戻りたい」という唄い出しの文句から「輪島」と呼称されていたが、昭和9年頃岐阜市公会堂にて行われた岐阜県内の盆踊りコンクール出場の際に、「徳山おどり」の代表曲として『徳山』の名を冠したものにしようと、囃し言葉を取って「徳山ほっそれ」と呼ぶようになったという。 その殆どが山林だった徳山の地には、かつて多くの木地師が入り込んでいたらしく、そうした人々が能登から伝えたのではないかといわれている。実際に「麦や節」に代表される輪島系の唄に近い唄い方をする。また7・7・7・5調の本唄の後に、7・7・7・7或いは7・7・7の長囃しが都度差し込まれ、滑稽なその文句もあって踊り場を大いに盛り上げる。 なお、徳山おどりの曲目の中でこの「徳山ほっそれ」のみ、揖斐川町の無形民俗文化財に指定されている。 1
〽憂いは馬坂 ヨイ つらいはイヨー(コラショイ) ヤレ 冠ヨーオイヤーレー ヨイ のりの長いはイーヨー ヤレ 田代谷ヨー 「アリャ 越卒(おっそ)は下だよ 門脇ゃ上だよ 大井は川西 三日月ゃ拝めぬ ホッソレ ホッソレ」 1
おはら節
盆踊りだけでなく、祝いの宴席でもよく唄い踊られたという。 唄の文句から、富山県八尾の「越中おわら節」との関連が強く考えられる曲。踊りの振りや唄の節回しは「越中おわら節」のそれとは異なるが、歌詞については本唄の合間合間に差し込まれる長囃しも含めて、殆ど同じである。 かつて徳山出身者が八尾の風の盆を見に行った際、戯れに徳山の「おはら節」を踊っていたところ、土地の古老が駆け寄って来て「それは昔のおわら節だ」と驚かれたことがあったという。「越中おわら節」が今の形に洗練される前の古態を残している可能性もある。 「徳山おどり」のおはら節は素朴な振付けながら、しなよく踊ることが求められ、「座布団一枚の上で踊れ」と言われる。 1
〽(キタサーノサーアア ドーッコーイショー) おわら おわら節 どこでも流行る(コラショイト) わけてこの地じゃ オハラ なお流行る(キタサーノサーアア ドーッコーイショー) 「越中じゃ立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ」 (キタサーノサーアア ドーッコーイショー) 1
The text above is adapted from the Wikipedia article “徳山おどり”, available under the Creative Commons Attribution-ShareAlike 4.0 licence. 1
Tokuyama Odori is recorded in open cultural data. The structured record cited below does not describe the practice, and this entry has not yet been reviewed by a person familiar with the tradition. 2